薪窯のこと

陶芸

桃山時代は、現在のような耐火レンガは有りませんし、焼成温度も低かったと思われます。
粗末な材料の窯の床からは、大地の水蒸気が大量に窯内に混入して来たでしょうし、粘土や漆喰で厚く塗られた天井や壁は、有る程度の蓄熱はするが、断熱をしないので、窯で発生した高温は、どんどん窯の回りから空気中に逃げてしまったと思われます。

ですから、低い焼成温度をカバーするために日数を掛けて焼成しました。しかし、この時代に貴方が大変興味をそそられる作品が、数多く作られたのです。窯を作るには、床は石や粘土を厚く敷き詰め、壁と天井には、太い竹を骨組みにして籠を作り、その上から和紙を幾層にも重ねて貼り、漆喰や粘土や石を重ねて一尺(30cm)前後の厚みを持たせた物を作ったと考えられます。

そして、窯を一ヶ月以上寝かせて乾燥させた後、窯本体を焼成します。200度辺りまでゆっくりと温度を上げて、その後成り行きで400度になったら暫く温度を保ちます。この辺りが一番粘土から水の遊離が激しく行われて、完全に水気が無くなる頃です。

そのあとは、800度まで一気に温度を上げますが、500度辺りで焼成を止めた可能性も有ります。それは、当時800度まで温度を上げるのも薪は大量に使うし、日にちも掛かるので大変だったからです。焼成を止めて、窯が室温にまで下がったらもう本焼成が出来る状態です。

床や天井に張り巡らせた骨組みは完全に燃えて、あとには窯本体が残っています。窯の煙突は、焼成に於いて非常に大事な役目を持っています。それは、自然的に窯内部の空気を排気流として押し出すことです。

一度着火されて煙が煙突から出ると、上昇気流が生じ、その勢いで気圧の低くなった窯が外の空気を下から内部に取り込み、また薪を燃焼させる役目をします。窯の後部に穴を開けて、その周りにレンガを1メートル組み上げたくらいの煙突では、排気流はそれほど期待できません。

窯の内部容積にもよりますが、奥行き3メートルの窯でも3〜4メートル以上の煙突が欲しいところです。でも、お風呂やさん程の高さは必要ありません。

登り窯は一つ一つの燃焼室が、一段ごとに上へと作られていますから、それが煙突の役割をしているのかも知れません。又、焼き物はカロリー燃焼物です、焼成温度だけに拘ってはいけません。昔は、低焼成温度の場合、その温度の不足した分だけ日数を掛けて焼いて、全体の焼成カロリーを合わせました。それで高火度の釉薬は溶けてくれましたし、灰も器に降ってくれました。赤松の灰を期待するのなら別ですが、現在の耐火レンガであれば、薪は広葉樹系でも十分昇温すると思います。

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