陶芸に於ける伝統と進化

陶芸

伝統的陶芸に於いては、一時代を築いた焼き物の形態自体が消滅しているケースが有ります。

織部焼き然り、志野焼き然りです。人間が茶碗や壺や鉢を作るのですが、その工程には一番大事な焼成の部分を天に委ねるしか他ありませんでした。

温度管理ができない、温度計が無い時代は炎の色を見てその温度を確認していました。窯によっては昇温の仕方が違うし、灰の付き方も違うので窯の火入れの時には、酒を窯に捧げて神頼みを行いました。

それが桃山時代(1573-1600)ですから、現代でその当時の焼き物を再現することは、如何に難しいことでしょうか。それは測り知れません。

ですから、陶芸に限っては、伝統+サムシング・ニューが当てはまらない場合が有ります。志野焼きも織部焼きも途中で忽然と消滅しており、伝統自体が現代まで継承されていないのです。

この消えた伝統の再現に一生を掛けている方もいらっしゃいます。中国の南宋時代、福建省の建窯で焼かれた曜変天目茶碗は、世界に三・四点しか現存していません。その全てが日本にあり国宝になっています。

この建窯で焼かれた天目茶碗(唐物)は、日本の草庵の茶道で使う茶碗(和物)とは趣きがちょっと違います。現在この天目茶碗の再現に人生を掛けている方や、志野茶碗再現に人生を掛けている方々が大勢いらっしゃいます。

この桃山時代の「器」自体は現代まで残っていますが、正確な出どころと釉薬と焼成方法が謎のままなのです。ですから、謎+サムシング・ニューと言うわけにも行かず、消えた伝統のカテゴリーに関しては、再現できたらそれだけで「国宝」級なのです。

北大路魯山人と懇意にしていた荒川豊蔵さんも、志野焼きを追求して人間国宝になりました。しかし、伝統を持たないからこそ出来る「新しい陶芸」、伝統が守られて来たからこそ出来る「伝統+サムシング・ニュー」が目指せる方々、共に目標に向かって頑張りましょう。

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